3年前(2004年11月)に主人の姉が54歳で亡くなりました。

乳がんでした。詳しくは知らないのですが、最初の乳がんが見つかってから、4年後くらいだったと思います。
発見されるまで定期検診なども受けていなかったそうで、昔、乳房にしこりがあると思い、病院に行くと、何でもなかったこともあり、その後も違和感があったにもかかわらず病院には行ってなかったようです。
私たちが知らされたときは、一度目の手術後でした。
義姉は、みんなに心配をかけまいと、両親や兄弟たちにも内緒にして手術を受けたようです。
その後、お正月などに会いしても、とても元気そうで、以前と変わらない様子でした。
うちの子が(1歳くらい)義姉の胸を触ろうとしたとき、「おばちゃん、おっぱいないのよ」と言われていたので、乳房は切除されたようでした。
手術後も通院はしていたみたいですが、次男の大学進学費用を稼ぐために、治療の方はおろそかになっていたとも聞いています。
その間に、再発していたみたいです。
その後知らされたのは、2003年6月。肺にまで転移していて、余命半年と言われました。
が、持ち直したのか入退院は繰り返していて、お正月は自宅療養されていました。
私たちの前では、元気にふるまわれていましたが、肺に転移しているせいか、咳き込むことが多く辛そうでした。
白髪も増え、抗がん剤の副作用で髪も抜けるようで、ずっと帽子もかぶっていました。
余命半年と宣告されてから、それでも1年が過ぎた頃、がんの名医がいるということで、国立金沢病院から高知県の土佐清水病院まで転院することになりました。
ただ、金沢から高知までの飛行機直行便がないうえに、高知空港から車で3時間以上かかる足摺岬の突端にある病院。
義兄も長男も仕事が休めないということなので、主人が会社を休み羽田空港で義母と義姉に合流して連れて行きました。
病院に着いた時に、看護士さんから義姉の息子と間違われたことが辛かったと言っていました(それほど義姉は年老いて見えたようです)。
2週間ほど入院していましたが、がんが脳や脊髄まで転移していることが判明。
「もう助けられないし、この病院は保険が効かないから、地元に帰ったほうがいい」と院長に言われ、再び、連れ帰ることに。
病院が用意してくれたマイクロバスに寝かせて帰りました。
金沢の浅野川病院では、脳の手術(ガンマーナイフ)を2度ほどしましたが、結局、助かることもなく……。
危篤の知らせを聞き、主人はすぐ向かいましたが、東京と金沢と遠距離のため、亡くなった5分後に着いてしまい無念だったそうです。
最期の半年間は、義姉のことを第一に行動していた主人。
もっと早くに対処していたら、早期発見していたら、きちんと治療を受けさせていたら、助かる命だったのでは、と後悔したことも。
義姉も、年老いた両親や自分の家族を残していくことが、どんなに辛かったでしょう。
それを身近で見ていた私は、定期検診の重要性が身にしみています。
葬儀のため、主人と義母が荷物を取りに実家へ向かう途中、雨が上がって雲の切れ目から虹がかかっていたそうです。
主人は、なぜか、「姉が登っていく虹の階段だ」と思ったのを覚えているそうです。
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